先回お話ししました内容の補足です。
1800年代の漢方全盛の頃には「結核性毒」といい、結核性の疾患に犯されやすいものは解毒症体質者と呼ばれていました。
つまり解毒症体質を有する小児は、常に風邪、気管支炎、咽頭炎、扁桃腺炎、鼻炎等の炎症性疾患に犯されやすく、当時の思春期における肺結核のおこりはすべてがこの解毒症体質者に見られることから「結核性毒」といわれるようになったと思われます。
当時の西洋医学者が発表している小児期の肺結核の統計では、大部分の人間は小児期に肺結核を経過するという報告があるくらいですが、今は解毒症体質を持っていても結核菌に犯されるリスクは当時とはくらべものにならないくらい低いですから、ことさら神経質になる必要はありません。
解毒症体質者は耳鼻、痔、神経衰弱等の疾患にかかり易く、これらの疾患は小児期の「疳」の病をはじめ肝臓の解毒作用を必要とする各種の体毒を持っているものとみなされます。
この様な症状の治療薬として「竜胆瀉肝湯(りゅうたんしゃかんとう)」は、先回お話した解毒剤に利尿剤と肝臓の薬剤を加味したものです。
今回は解毒剤について。
解毒剤として昔は代表的なものとして、
・柴胡清肝湯(さいこせいかんとう)
・荊芥連翹湯(けいがいれんぎょうとう)
・竜胆瀉肝湯(りゅうたんしゃかんとう)
の三つがあげられます。
その基本に流れるのが先回お話しました「四物黄連解毒湯(しもつおうれんげどくとう)」です。この処方は別名「温清飲(うんせいいん)」とも呼ばれています。
ちなみに、温清飲(うんせいいん)、柴胡清肝湯(さいこせいかんとう)、荊芥連翹湯(けいがいれんぎょうとう)は、アトピー性皮膚炎の症例に利用されることもあります。(次回へ)
(松田昇 東洋医学研究家、薬剤師)
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