証は実・虚・熱・寒という概念の中に体質的なものと、症状的なものを含んでいます
したがって「証」とは体質的なものと症状的なものを合わせて、その時点でその人が現わしている”体況”と言えるものです。
もちろん、その人が病気(不調)の時でも正常な時でも実・虚・熱・寒という概念のどこかにポジショニングされます。(西洋医学の、病気と健康の概念とはまた少し違いますね。)
このポジションニングは年齢とともに変化します。例えば・・・
若い頃は汗もよくかき筋骨たくましかったけど、年を追うにしたがい寒さにも弱く病気に対する抵抗力も弱くなったという人を見かけます。
証というのはその時と場合で変化してゆくものなのです。
ゼロポジションのデータから、多くの不定愁訴(東洋医学の対象となる例えば生理痛、むくみ、便秘など)のツラサの中身(質)が年齢によっても変化しますが、その様子は、実・虚・熱・寒の中を行ったり来たり・・・ブランコのように「揺らいでいる」ように思われます。
そして中高年層になるほどこの揺らぎの幅が小さくなるようです。(⇒不定愁訴の自覚の揺らぎと固定化。いずれ紹介したいと思いますが、揺らぎの幅が小さく固定化してゆくということは、寝返りせずに寝ているようなもの-ツラサの自覚が強まること-と考えています。)
証の見極めの難しさ、特に体況の(年齢)変化を含めて、その人の全体像を時間経過とともに捉えることの難しさ(治療方針としての処方チョイスの難しさ)は、この変化にもあるのではないでしょうか。
さて、寒証と熱証について簡単に説明します。
寒証と熱証は、病気(不調)の時の性状についての区別と言えます。
顔色が赤く興奮的で熱状を帯びる人(熱証)と、顔色が蒼白く沈衰的で手足の冷える様なタイプ(寒症)の区別です。
簡単にいえば、陰と陽のイメ-ジになるでしょうか。
熱証タイプは感染症にかかると、高熱を発し体がほてり、赤い大きな発疹が出たりします。そして痰も濃いものです。
寒証タイプは感染症にかかって熱が出ても、寒気を感じることが多くて、発疹も色の薄いもので、出る痰も薄いものです。
以上の様に同じ病気にかかっても、病気自体の性質が変わってくるので、病証として寒と熱に区別しています。
少し難しい話が続きましたので、次回は熱と寒・・・身体を冷やすことと温めることについて、食べ物、つまり薬膳の形での取り入れ方について、実例を挙げながらお話しすることにします。(東洋医学研究家、薬剤師 松田昇。データサポートはゼロポジション)
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